2012年03月

2012年03月17日

握手論

先日、母と録画しておいた「情熱大陸」を見た。
ロンブーの淳が出演する回で内容はどうってことなかったが、
淳を見ていて握手の効用について色々と考えさせられた。

数年前、母はロケで移動中だった淳を見つけた。
誰も握手を求めない中で、無意識にサッと手を差し出す母。
それに自然と応じて握手する淳。
興奮していて言葉は交わさなかったらしいが
その握手以来、母はテレビで淳を見かけるとその時の話題をよく持ち出す。

たかが握手、されど握手。
その時の対応がよっぽどぞんざいでなければ
握手1つで人はその相手に好意的な印象をもつのだろう。
近いようで遠い芸能人という相手ならなおさら。
ファンでなくても、生で触れ合った記憶がしっかりと残るのかもしれない。

思えば芸能人に限らず、
自分の顔や名を売ってなんぼの職業では握手を重視しているではないか。

握手券をCDにつけるAKB。
地元の挨拶周りでじいさんばあさんから孫まで握手する政治家。
常連・初見を問わず「また来てね」と握手で見送るホステス。

どの職業もサービス業の側面が強い。
体調や精神が不安定な時もあるだろう。
握手なんてめんどくさいってことも多々あるだろう。
それでも、「握手」という一瞬の行為をおろそかにしてしまえば客は離れる。
下手すれば変な噂だって流されかねない。
最低限の誠意を持って握手をしておけば、その印象が変わらなくても悪くなることはない。

PCやスマホなどコミュニケーション手段が多様化する中で
実際に会って話すことの重要性はよく説かれているが、
「とりあえず握手!」の効用も注目されていいのではないだろうか。

一般のサービス業をはじめとした業種でも
信頼性や期待感を高める上で直に触れ合う握手、
もっといえばボディタッチまで含めた積極的なコミュニケーションをすれば
そういうコミュニケーションを潜在的に求めてる層に受けるのではないかと。

そんなこと考えていてふと思い浮かんだのは
アップルストアの開店や新製品販売開始による長蛇の列。
開店時に玄関で出迎える店員は、次々と入店する客とハイタッチしていたわ。
あれが毎回となるとかなりウザイ。
特別な相手、特別な時であるからこそ、握手もハイタッチも活きてくるってことかも。

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2012年03月16日

それは勇み足だよ河村市長

南京大虐殺を巡る河村市長の発言。
予想通りというか、南京市側は交流行事などを中止。
名古屋への中国人観光客の減少など経済面での影響が懸念されている。

国会議員時代から大虐殺については一家言があった市長。
その本意はよくわからないが、発言の推移から戦略的な悪意は感じられない。南京において悲惨な行為があったのは認めるが、それが軍による組織的な「大虐殺」であったかどうかについて疑義を抱いているようだ。

諸外国と歴史認識が異なる事案についてどのような歴史観を抱くのかは個々人の自由だが、市長自らが南京市の関係者相手に大虐殺に関する討論会を提案したというのはよくわからない。このような神経質な事案を巡る討論会を提案するのは、政治が扱うテーマではなく両国のアカデミックな分野に委ねるべき問題だろう。

もっとくだけた雰囲気で歴史認識について
「ここが変だよ中国人!」
「それは変だよ日本人!」
という言い合いがしたいならテレビかネットに任せておけばいいのだ。

あくまで「討論会開催」の提案であるとしても、野党民主党の一国会議員時代とは発言の重みが違う。まして、相手方は「大虐殺」の現場である南京市だ。河村氏はその南京市と友好関係にある名古屋市の市長でもある。だからこそ、南京大虐殺に関する討論会というセンセーショナルな提案をしたのかもしれないが、そこは個人的な政治信条をグッと押さえ、アカデミックな分野と連携をとりつつ、民間レベルでの文化的対話の中での討論会開催をスマートに模索していくべきだったと思う。

思いついたことを明言する。
はっきりとした道筋が見えてなくてもアドバルーンを打ち上げる。
この大胆さは河村市長の良さではあるが、あらゆる事案においてこの種の政治手法が有効に働くとは限らない。

マニフェストの1丁目1番地であった市民税減税の実現に手こずり、したたかに議会に歩み寄って減税率を下げてでも実現にこぎつけた市長。そんな市長なら、今回の件ももっと上手いこと事前にできたのではないだろうか。

時間をかけて南京市側と市長か側近が直接水面下でやりとりをし、討論会の開催が本当に実現可能か慎重に探るべきだった。南京市を訪問した名古屋市議団と南京市側との意見交換の内容を聞き、討論会開催を提案できると判断したようだが、結果論で見れば見通しが甘かったと言わざるを得ない。

また、討論会を実現できた場合、南京市や中国側でどのような反応が起こるのか。そのとき、どのような政治的・経済的影響をもたらすのか。そうした部分をしっかりと詰め、側近や市役所職員の意見も踏まえて発言していたならば、向こう側から発言の謝罪を求められるような展開にはならなかったのでないかと。今回は、トップダウン型の市長の特性が仇となってしまった気がする。

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2012年03月02日

再稼働するか廃炉にするか。

再稼働するか廃炉にするか。
諸々の利害が入り組んでいるから決断できないとばかり思っていたが、違うのかもしれない。【私たち】は、私たちは、この過去を否定するのを怖れているのではないか。


過ちだったと結論づけることで「すべては無駄だった」とされてしまうことを怖れているのではないか。だとするならば、私たちは、【私たち】にもっと歩み寄る必要がある。


「すべてが誤りだったわけじゃない。ただ、あまりにもリスクが手に負えないレベルだったという話なんだ。果てしない絶望を撒き散らしたことを決して忘れないと同時に、あの日までに多大な恩恵をもたらしてくれたことへの感謝を決して忘れない」と。

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